ビールの歴史を知れば味が変わる!明日語れる主要スタイルの起源

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普段何気なく飲む一杯のビールには、壮大な歴史が詰まっています。

この記事では、ビールの起源から現代までの歴史を解説します。

ビールの歴史を知れば、次の一杯がもっと楽しくなるはずです。

目次

なぜ世界は2種類に分かれた?ラガーとエールの歴史的必然

なぜ世界は2種類に分かれた?ラガーとエールの歴史的必然

ビールは大きく「ラガー」と「エール」に分けられます。

これは酵母の種類と発酵温度の違いによります。

ラガービールの語源

エールは常温に近い温度で発酵させる「上面発酵」、ラガーは低温で発酵させる「下面発酵」で造られます。

低温で時間のかかるラガーが生まれ、世界の主流になったその答えは中世ドイツのバイエルン地方にあります。

この地域では、腐敗を防ぐため法律で夏期の醸造が禁止されていたため、人々は冬にビールを仕込み、洞窟で低温貯蔵していました。

この「貯蔵する」を意味するドイツ語「Lagern(ラーゲルン)」が、ラガービールの語源です。

この低温環境が歴史的な変化を生みました。

既存のエール酵母に、低温に強い野生酵母が偶然交雑したのです。

遺伝子研究によれば、このハイブリッド酵母(現在のラガー酵母)の誕生は約500〜600年前と推定されています。

低温の洞窟という特殊な環境で、この新しい酵母だけが生き残りました。

こうして、雑味が少なくクリーンな味わいのラガーが誕生しました。

19世紀の技術革新

しかし、ラガーが世界を席巻するには、もう一つの技術革新が必要でした。

それが19世紀の冷凍技術の発明です。

1876年、ドイツの技術者カール・フォン・リンデが実用的な冷凍機を発明しました。

これにより、一年中どこでも安定してラガービールを製造できるようになったのです。

品質が安定し大量生産が可能になったラガーは、鉄道網の発達と共に世界へ広まりました。

そのクリアな喉ごしが多くの人に好まれ、瞬く間にビールの主役となりました。

ラガーの成功は、気候、法律、偶然、科学技術の進歩が連鎖した歴史的必然でした。

ビールの起源を巡る旅|古代文明と液体のパン

ビールの起源を巡る旅|古代文明と液体のパン

人類とビールの出会いは、農耕の始まりとほぼ同時期と言われます。

紀元前4000年 メソポタミアでの偶然の発見

ビール発祥の地は、古代メソポタミア文明が最も有力です。

約6000年以上前、シュメール人が麦を栽培し始めた頃、ビールは偶然生まれたと考えられています。

保存していた麦の壺に雨水が入り、野生酵母で自然発酵したのが起源とされます。

当時のビールはお粥のような状態で、葦のストローで飲まれていました。

栄養価が高く「液体のパン」と呼ばれ、主食の一つでした。

ビールの重要性は、紀元前1754年頃のハンムラビ法典からも伺えます。

法典にはビールの品質や価格のルールが定められ、違反者には厳しい罰が科せられました。

ビールは古代メソポタミアの人々の暮らしに不可欠でした。

古代エジプト|ピラミッド建設を支えた労働者の給料

メソポタミアから伝わった醸造技術は、古代エジプトでさらに発展しました。

エジプトでもビールは神聖な飲み物で、日常生活に深く浸透していました。

特に有名なのが、ピラミッド建設とビールの関係です。

巨大なピラミッドは、専門技術を持つ労働者が国家事業として建設したのですが、彼らの給料の現物支給品に、パンと並んでビールが含まれていました。

ギザのピラミッド建設の労働者には、1日約4リットルのビールが支給されたと推定されます。

ビールは醸造過程で煮沸されるため、安全な水分補給源でした。

麦由来の栄養素は、過酷な労働を支える重要なカロリー源でもありました。

近年の発掘調査では、一度に2万リットル以上を生産できた大規模な醸造所の遺跡も発見されています。

ビールは、古代エジプト文明の偉大な建造物を支えた社会インフラだったのです。

中世ヨーロッパ|修道院が築いた醸造技術の礎

ビールはヨーロッパへ伝わり、中世の修道院で大きな技術的進歩を遂げます。

彼らの活動が、現代ビールの味わいを決定づける重要な革新を生みました。

ホップの登場|ビールの味わいを決定づけた革命

現代ビールの爽やかな苦味と香りは「ホップ」によるものですが、中世初期までのビールにホップは使われていませんでした。

当時は「グルート」というハーブの調合で風味付けや保存を行っていました。

しかし、グルートは品質が不安定という問題がありました。

この状況を一変させたのがホップです。

ホップには、雑菌の繁殖を抑える優れた防腐効果があると知られるようになります。

その価値を体系的に記録し、利用を広めたのは修道院であり、特に重要な人物が、12世紀ドイツの修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンです。

彼女は著書で、ホップがその苦味でビールの腐敗を防ぎ、長持ちさせると明確に記述しました。

ホップの登場は革命的でした。

防腐効果でビールの長期保存と長距離輸送が可能になり、商業的な流通が発展しました。

そして爽快な苦味と華やかな香りが、ビールの味わいを劇的に向上させました。

トラピストビールの源流|祈りと労働が生んだ至高の一杯

中世ヨーロッパのビール史で、修道院の存在は欠かせません。

なぜ修道院でビール造りが盛んになったのでしょうか。

背景には、6世紀に定められた「祈り、そして働け」という戒律があります。

修道士たちは自給自足の生活を送り、醸造はその重要な労働の一つで、また、巡礼者や旅人をもてなす義務もありました。

安全な水が貴重だった当時、栄養価が高く衛生的なビールは最高のおもてなしだったのです。

知識階級だった修道士たちは、醸造の試行錯誤を記録・分析しました。

原料投入のタイミングなど、知見を積み重ねていきました。

こうした活動が、醸造を経験則から体系化された技術へと昇華させ、彼らが生み出した高品質なビールは評判を呼び、修道院の重要な収入源にもなりました。

この伝統が、現在のトラピストビールやアビィビールへ受け継がれています。

近代ビールの夜明け|3つの革命が世界を変えた

中世の醸造技術は、18〜19世紀の3つの革命により、現代ビール産業の礎を築きます。

産業、科学、法律の変化が、ビールを世界的な工業製品へと変貌させました。

産業革命|蒸気機関が実現したビールの大量生産

18世紀後半の産業革命は、ビール造りの規模を劇的に変えました。

原動力はジェームズ・ワットが改良した蒸気機関です。

それまで馬や人力に頼っていた醸造作業が、蒸気機関で機械化されました。

1784年、ロンドンの醸造所が初めて蒸気機関を導入し、生産効率を飛躍的に向上させました。

ビールの大量生産が可能になり、都市の労働者階級に広まる「大衆の飲み物」となったのです。

また、この時代には温度計や比重計も導入され始めました。

職人の勘に頼らない「品質管理」の概念が生まれたのもこの頃です。

科学の進歩|パスツールが解き明かした酵母の秘密

19世紀の科学の進歩は、ビールの「質」を劇的に向上させました。

最大の功労者は、フランスの細菌学者ルイ・パスツールです。

当時、発酵は神秘的な現象で、腐敗の原因も不明だったのですが、パスツールは顕微鏡で、発酵が「酵母」という微生物の働きだと突き止めました

さらにビールの腐敗が、別の好ましくない微生物によることも解明しました。

この発見はビール造りを根本から変えたのです。

パスツールは、ビールを低温加熱殺菌し、腐敗菌だけを殺す方法を考案しました。

これが「低温殺菌法(パストリゼーション)」です。

この技術でビールの腐敗リスクは激減し、品質が安定しました。

ドイツビール純粋令|品質を守った世界最古の食品条例

近代ビールを語る上で、ドイツの「ビール純粋令」は欠かせません。

1516年、バイエルン公ヴィルヘルム4世により「ビールは、大麦・ホップ・水のみを原料とすべし」と定められました。

制定の背景には、粗悪なビールの排除という目的がありました。

有害物質などから消費者を守り、品質を保証したのです。

もう一つの重要な目的は食糧確保でした。

パンの主原料である小麦やライ麦がビールに使われるのを防ぎ、パンの価格高騰を抑える狙いがありました。

この純粋令はドイツ全土に広がり、500年以上経った今もその精神は受け継がれています。

この法律がドイツビールの信頼性を高め、「ビール大国ドイツ」の礎を築きました。

物語で味わう主要ビアスタイルの起源

それぞれのスタイルが生まれた背景を知ると、一杯の味わいがより深く感じられるはずです。

ピルスナー|黄金色の液体が世界を席巻した理由

現在、世界で最も飲まれているビアスタイルが「ピルスナー」です。

日本の大手ビールの主力商品もほとんどがこのスタイルです。

この黄金色のビールの誕生は、市民の「怒り」がきっかけでした。

1838年、現在のチェコにあるピルゼンの町では、品質の悪いビールが多く出回っていました

怒った市民たちは、品質の悪いビール樽を広場で叩き割り抗議しました。

そして彼らは、自分たちで最高のビールを造るため新しい醸造所を設立したのです。

1842年、そこで初めて醸造されたビールは、それまでと全く違いました。

ピルゼン地方の軟水、最新の淡色麦芽、香り高いザーツ産ホップ、そして下面発酵酵母、これらの組み合わせが、輝く黄金色の液体を生み出したのです。

その味わいは、麦芽のコクとホップの苦味が見事に調和した衝撃的なものでした。

IPA(インディア・ペールエール)|大英帝国とインド航路の物語

クラフトビールシーンで人気の「IPA(インディア・ペールエール)」。

その誕生には、18〜19世紀の大英帝国が深く関わっています。

当時、植民地インドに駐留するイギリス人たちは悩みを抱えていました。

故郷のエールが、赤道を越える過酷な船旅に耐えられず腐ってしまうのです。

そこでロンドンの醸造家ジョージ・ホジソンが、この問題の解決に乗り出しました。

彼はホップの防腐効果に着目し、航海に耐えるよう通常より大量のホップを投入し、さらにアルコール度数も高めた特別なペールエールを造り上げました。

これがIPAの原型です。

大量のホップは腐敗を防ぐだけでなく、強烈な苦味と華やかな香りをもたらしました。

ポーターとスタウト|産業革命期のロンドンが生んだ労働者のビール

黒ビールの代表格「ポーター」と「スタウト」は、親子のような関係にあります。

そのルーツは、18世紀の産業革命で活気に沸くロンドンです。

当時のパブでは、3種類のエールを混ぜる「スリー・スレッズ」が流行していました。

しかし注文のたびに注ぐのは手間がかかりました。

そこで1722年頃、醸造家のラルフ・ハーウッドが、初めから混ぜたような濃色のビールを開発しました。

これが「ポーター」の始まりです。

このビールは、荷物運び人(ポーター)の間で、安価で栄養価が高いと絶大な人気を博しました。

これが「ポーター」という名前の由来です。

多くの醸造所がポーターを造る中、特に濃厚で力強い(Stout)ものが「スタウト・ポーター」と呼ばれました。

やがてこれが独立し、現在の「スタウト」となりました。

アイルランドのギネス社が造るドライスタウトが世界的に有名になり、スタウトは確固たる地位を築きました。

ポーターとスタウトは、産業革命期のロンドンで生まれた労働者のためのビールでした。

20世紀の激動と現代|禁酒法からクラフトビール革命へ

20世紀、ビールの歴史はアメリカで大きな激動の時代を迎えます。

一度は多様性を失いかけたビール文化は、市民の手によって劇的に復活しました。

最初の転機は、1920年にアメリカで施行された「禁酒法」で、13年間、アルコール飲料の製造・販売が全面的に禁止されました。

この法律はアメリカのビール文化に壊滅的な打撃を与えました。

1933年に禁酒法が廃止されても、市場は生き残った一部の大手メーカーに独占されました。

彼らが製造したのは、飲みやすいライトな味わいのアメリカンラガーで、大規模な広告戦略でこのスタイルが市場を席巻し、消費者の選択肢は激減しました。

この状況を変えたのが、1970年代後半からの「クラフトビール革命」です。

きっかけは、1978年に家庭でのビール醸造(ホームブルーイング)が合法化されたことでした。

これを機に、大手メーカーのビールに飽き足らない愛好家たちが、多様なビールを自宅で再現し始めました。

彼らの情熱は、やがて小規模醸造所(マイクロブルワリー)の設立へと繋がりました。

ホップを多用したIPAなど、個性的で風味豊かなビールが次々と生み出されました。

日本のビール史|開国から地ビールブームまでの軌跡

日本人が本格的にビールと出会ったのは、比較的最近のことです。

日本のビール史は、江戸時代末期の開国と共に始まります。

1853年、ペリー来航時に幕府の役人がビールを振る舞われたのが、記録上の最初の出会いの一つです。

同年、蘭学者の川本幸民が、日本人として初めてビールの試醸に成功したと言われます。

明治時代に入り、文明開化の波に乗りビールは普及し、日本のビール産業の礎は、横浜の外国人居留地で築かれました。

1870年、アメリカ人のウィリアム・コープランドが「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立しました。

これが日本初の継続的なビール醸造所で、後のキリンビールの前身です。

その後、現在のサッポロ、アサヒ、サントリーの源流となる企業が次々と誕生しました。

戦後の高度経済成長期、ビールは家庭にも広く普及し、国民的な飲み物となりました。

しかし当時は大手メーカーによる寡占状態で、ピルスナースタイルのラガーが中心でした。

歴史を知ると次に飲むべき一杯が見つかる|スタイル別おすすめビール

一杯のグラスの向こうには、様々な背景があることがお分かりいただけたかと思います。

この知識は、次のビール選びを格段に面白くしてくれます。

ここでは、歴史を「味わう」ためのおすすめビールをご紹介します。

ビアスタイル代表的な銘柄歴史的背景と味わいのポイント
ピルスナーピルスナーウルケル
(Pilsner Urquell)
1842年に誕生した世界初のピルスナー。「元祖」です。現代の日本のビールより麦芽のコクが深く、ホップの苦味もしっかり感じられます。ピルスナーの原点を知るには必飲の一杯です。
IPAフラーズ IPA
(Fuller’s IPA)
インド航路の歴史を持つ、イギリスの伝統的IPA。アメリカンIPAのような派手な柑橘香ではなく、紅茶やハーブのような落ち着いたホップ香としっかりした苦味が特徴。大英帝国の時代に思いを馳せたい一杯です。
スタウトギネス ドラフト
(Guinness Draught)
ロンドンのポーターから派生し、アイルランドで進化したドライスタウトの世界的代表。クリーミーな泡と、ロースト大麦由来のコーヒーやビターチョコ風味が特徴。産業革命期の労働者が愛した味の系譜を感じられます。
トラピストビールシメイ・ブルー
(Chimay Blue)
ベルギーのスクールモン修道院で造られるトラピストの代表格。ドライフルーツやスパイスのような複雑で芳醇な香りと、高アルコールながら滑らかな口当たりが特徴。修道士たちの祈りと労働が生んだ奥深い味わいです。

これらはほんの一例です。

歴史という新しい「ものさし」で、ビール選びはもっと自由で知的な楽しみになるはずです。

ビールの歴史に関するよくある質問

日本で最初にビールを造ったのは誰ですか?

これには二つの見方があります。

日本人として初めてビールの「試醸」に成功したのは、1853年の蘭学者・川本幸民とされます。

一方、事業として継続的に醸造・販売した最初の人物は、横浜で醸造所を設立したアメリカ人のウィリアム・コープランドです。

彼の醸造所が日本のビール産業の直接的な始まりと言えます。

生ビールと普通のビールの違いは何ですか?

歴史的には「熱処理」の有無が違いでした。

かつて瓶ビールは品質安定のため、パスツール考案の低温殺菌法で熱処理するのが一般的でした。

これに対し、熱処理しない樽詰めのビールを「生ビール」と呼んでいました。

しかし現代では濾過技術が進歩し、熱処理なしで品質を安定させることが可能になりました。

そのため、現在日本で流通する缶や瓶ビールのほとんどは、熱処理をしていない「生ビール」です。

ビールの語源は何ですか?

英語の「Beer」の語源は諸説あります。

有力な説の一つは、ラテン語で「飲む」を意味する「bibere」が変化したというものです。

もう一つは、ゲルマン祖語で「大麦」を意味する「beuwoz」に由来するという説です。

どちらも、ビールが古くから生活に根ざした飲み物だったことを示唆しています。

まとめ

ビールは常に人類の歴史と共にありました。

  • 「ラガー」と「エール」の分岐は、中世ドイツの低温貯蔵、酵母の偶然の交雑、近代の冷凍技術で決まりました。
  • ビールの起源は古代メソポタミアにあり、「液体のパン」として古代エジプト文明の礎を築きました。
  • 中世の修道院はホップの使用を広め、醸造技術を体系化し、現代ビールの品質の基礎を築きました。
  • ピルスナーやIPAは、市民の要求や大航海時代の必要性など明確な歴史的背景から生まれました。
  • 日本のビール史は開国から始まり、1994年の規制緩和が多様なクラフトビール文化の扉を開きました。

これからは、一杯のビールの背景にある壮大な歴史に思いを馳せられるはずです。

そう考えるだけで、いつもの一杯がより味わい深く、特別なものに感じられるでしょう。

さあ、次はどの歴史を味わってみますか?

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