梅酒の歴史について徹底解説!いつもの一杯が深く変わる文化と製法の変遷

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梅酒には、古代中国から現代に至るまでの長い歴史が秘められています。

一杯の梅酒が持つ奥深い背景を知ることで、その味わいはより特別なものになるでしょう。

この記事では、梅酒のルーツを辿り、日本で独自の文化として花開いた過程を解説します。

さあ、一緒に梅酒の歴史を紐解いていきましょう。

目次

梅酒の起源は中国にあり!薬としての4000年の歴史

梅酒の起源は中国にあり!薬としての4000年の歴史

梅酒の主役である「梅」と人々の関わりは、約4000年前の古代中国にさかのぼります。

中国最古の歴史書『書経』には、「塩梅(あんばい)」という言葉が登場します。

これは、王が宰相を「料理の味を調える塩と梅のように、政治の調和を図る存在だ」と評した一節です。

このことから、紀元前2000年頃には梅が重要な調味料であったことがわかります。

料理の「さじ加減」を「塩梅」と表現するのは、この歴史が背景にあるのです。

やがて梅は、調味料としてだけでなく「薬」としての価値も見出されていくのですが、中国最古の薬物書『神農本草経』には、「烏梅(うばい)」という生薬が収載されています。

これは未熟な青梅を燻製乾燥させたもので、整腸、解熱、鎮咳などに効果があるとされ、貴重な漢方薬として扱われました。

この薬としての梅「烏梅」が日本に伝わったのは奈良時代で、遣唐使などがもたらした品々の中に、烏梅も含まれていました。

東大寺正倉院の『種々薬帳(しゅしゅやくちょう)』にも、その名が記されています。

この事実は、梅が日本に渡来した当初は、貴族や僧侶が用いる貴重な「薬」であったことを示しています。

日本における梅酒の夜明け|江戸時代の文献にその姿を見る

日本における梅酒の夜明け|江戸時代の文献にその姿を見る

薬として伝来した梅が、現在の「梅酒」へと姿を変えるのは江戸時代です。

この章では、日本における梅酒の歴史が本格的に始まるこの時代に焦点を当てます。

どのような背景から生まれ、当時どのような役割を担っていたのかを探ります。

最初の記録?1697年『本朝食鑑』の記述を読み解く

日本の梅酒がいつから作られるようになったか、その鍵を握るのが1697年刊行の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』です。

これは江戸時代の医師、人見必大が日本の食材の効能をまとめた書物です。

この『本朝食鑑』の「梅」の項目に、梅酒の起源を示す重要な記述が見つかります。

そこには、こう記されています。

「毎歳梅熟時、取青梅、以燒酎漬之、經年月、色黄味甘、令人爽快、能下気、解渇煩」

現代語に訳すと「毎年梅が熟す時期に青梅を取り、焼酎で漬ける。年月を経ると色は黄色く味は甘くなり、人を爽快にさせる。気を下し、喉の渇きや胸の苦しさを解消する」といった内容です。

「青梅を焼酎に漬け込む」製法や熟成の様子は、まさに現代の梅酒作りそのものです。

この記述は、現存する文献の中で梅酒の製法に具体的に言及した最古の記録とされています。

今から300年以上前の江戸時代中期には、すでに梅酒の原型が確立されていた可能性が高いのです。

この発見は、梅酒の歴史を語る上で原点と言える一節です。

なぜ江戸時代に生まれた?砂糖と焼酎の普及が鍵

『本朝食鑑』により、江戸時代中期に梅酒の原型が存在したことがわかりました。

では、なぜこの時代に梅酒は生まれたのでしょうか。

背景には、梅酒作りに不可欠な「砂糖」と「焼酎」の普及が深く関わっています。

まず「砂糖」ですが、それまでは非常に高価な輸入品で、主に薬として使われていました。

江戸時代に入ると、オランダ貿易によって輸入量が増加し、さらに18世紀初頭には黒糖の国内生産も本格化し、供給量が大きく増えました。

庶民が気軽に使えるものではありませんでしたが、以前よりは手に入れやすくなったのです。

次に「焼酎」です。

焼酎の蒸留技術は16世紀頃に伝わり、江戸時代中期に生産が大きく発展します。

九州では米や麦などを原料とする焼酎作りが盛んになった一方、関西では酒粕を再利用した安価な「粕取り焼酎」が製造され、庶民に普及しました。

江戸時代中期は、古くから知られた梅の薬効に加え、甘みをつける「砂糖」と、エキスを抽出し長期保存を可能にする「焼酎」が、ようやく庶民の手にも届き始めた時期でした。

これらの条件が重なり、梅酒が誕生する土壌が整ったと考えられます。

当時の梅酒は薬だった? 庶民の健康を支えた家庭薬

現代の私たちにとって梅酒は「嗜好品」のイメージが強いですが、江戸時代の梅酒は「薬用酒」としての側面を持っていました。

初出である『本朝食鑑』自体が、食材の薬効を解説する書物です。

その中で梅酒は「人を爽快にさせる」「喉の渇きや胸の苦しさを解消する」といった効能と共に紹介されています。

梅に含まれるクエン酸の疲労回復効果を、当時の人々も経験的に知っていたのでしょう。

特に夏バテ防止や食欲増進、滋養強壮のための家庭薬として重宝されたと考えられます。

1817年の『諸国名産尽』には、梅酒の作り方と共に「暑気あたり、下痢、腹痛の妙薬」という記述も見られます。

医療が未発達だった時代、梅酒は日々の健康を守るための暮らしに根ざした「家庭の知恵」でした。

甘くて美味しいだけでなく、家族の健康を支える存在が、江戸時代の梅酒の姿だったのです。

庶民の楽しみへ|明治・大正期における梅酒文化の広がり

江戸時代に薬用酒として生まれた梅酒は、明治・大正時代に入ると役割を変えながら、より広く庶民の暮らしに浸透します。

この章では、梅酒が「家庭の味」として定着していった変遷を追います。

酒税法の変化と自家醸造の普及

梅酒が各家庭で広く作られるようになった背景には、「法律」が大きく関係しています。

明治政府は酒税を重要な財源と位置づけ、様々な法律を整備しましたが、その法律が結果的に自家製梅酒の普及を後押ししたのです。

1896年(明治29年)制定の酒税法では、主な課税対象は販売目的の清酒などでした。

一方、家庭で消費するために購入した焼酎に果実を漬け込む「混成酒」の製造は、課税対象外でした。

つまり免許がなくても自由に行うことができたのです。

特別な許可も不要で、梅と焼酎、砂糖さえあれば誰でも作れる手軽さが、梅酒を「我が家の味」として家庭文化に育てました。

こうした制度的背景が、現在の「梅仕事」という文化に繋がっています。

文学作品に描かれた梅酒|大正ロマンの香り

梅酒が人々の暮らしに根付いた様子は、当時の文学作品からも垣間見えます。

薬用酒から暮らしに彩りを添える存在へ変化した梅酒の姿が、文豪たちの筆で描かれています。

例えば与謝野晶子は、1912年(大正元年)刊行の歌集『青海波』でこう詠んでいます。

「わがなさけ濃しと誰いふ梅酒の琥珀の杯ささげよ君」

琥珀色の梅酒の杯を酌み交わす、ロマンチックな情景が目に浮かびます。

また、中勘助の『銀の匙』には、伯母が大きなガラス瓶で梅酒を漬ける光景が描写されています。

初夏の風物詩として、梅酒作りが家庭の年中行事だったことが伝わります。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』といったモダンな作品にも梅酒は登場します。

これらの作品から、梅酒がもはや単なる家庭薬ではなく、文化の中に溶け込んでいたことがわかります。

商業生産の始まりと「梅酒」という名称の定着

明治・大正期、梅酒作りの主役は各家庭での自家醸造でしたが、この頃から、梅酒を商品として製造・販売する動きが現れ始めます。

商業生産の先駆けとして、現在の大手メーカー、チョーヤ梅酒の前身「蝶矢商店」が挙げられます。

1914年(大正3年)、創業者がブドウ酒の製造販売を開始し、その後、梅酒の製造にも乗り出しました。

また、合同酒精(現:オエノンホールディングス)なども、早い時期から梅酒の商業生産に関わっていたとされます。

これらはまだ小規模な生産でしたが、梅酒の歴史において重要な意味を持ちます。

商品として流通させるには、品質を一定に保ち、誰もがわかる名前が必要です。

それまで「梅の焼酎漬け」などと呼ばれていたものが、商品化の過程で「梅酒」という統一名称で広く認知されるようになったと考えられます。

激動の昭和から平成へ|梅酒の大衆化と多様性の時代

戦争と復興、高度経済成長という激動の昭和時代、梅酒は国民的な飲み物へと飛躍を遂げます。

そして平成に入ると、その世界はさらに豊かに多様化しました。

この章では、昭和から平成にかけ、梅酒がどのように大衆化し、洗練された嗜好品へと変貌したのかを見ていきましょう。

戦後の食糧難と復興期|家庭の知恵としての梅酒作り

第二次世界大戦後の日本は、深刻な食糧難に見舞われました。

梅酒作りに必要な砂糖や焼酎も、簡単には手に入らない貴重品でした。

そんな時代、梅酒作りは贅沢であり、限られた材料を大切に使う家庭の知恵でもありました。

苦労して手に入れた材料で年に一度の梅酒を漬けることは、厳しい暮らしの中でのささやかな楽しみでした。

すぐに飲むのではなく、何年も熟成させ、祝い事など特別な「ハレの日」にだけ家族で分け合って飲んだという話も聞きます。

この時代の梅酒は、困難な時代を生きる人々の喜びや、家族の絆を象徴する特別な存在だったのかもしれません。

1962年の酒税法改正|自家製梅酒が明確に合法化された日

戦後復興が進む中、梅酒の歴史における重要な転換点が訪れます。

それが、1962年(昭和37年)に行われた酒税法の大幅な改正です。

この法改正で特例が設けられました。

「消費者が自ら消費するため、焼酎等に梅その他のものを混和する場合」は、例外的に酒類の製造には当たらない、というものです。

要するに「家庭で自分で飲むための梅酒作りは、法律で正式に認めます」ということが、初めて条文で明確化されたのです。

これは日本の梅酒文化にとって画期的な出来事で、それまで黙認状態だった自家製梅酒が、完全に合法化されたわけです。

この法的な後ろ盾を得て、人々はますます安心して梅酒作りを楽しむようになります。

初夏になると店頭に青梅や氷砂糖、ガラス瓶が並ぶ光景。

そして各家庭で愛情を込めて梅酒を漬ける「梅仕事」。

今では当たり前のこの初夏の風物詩は、1962年の法改正があったからこそ全国的に広まったと言えます。

大手メーカーの参入と市場の拡大

自家製梅酒文化が花開く一方、昭和30年代からは梅酒を商品として大規模に製造・販売する動きが本格化します。

その口火を切ったのが、1959年(昭和34年)に梅酒の全国販売を開始したチョーヤでした。

「チョーヤ 梅酒」というキャッチーな名前とテレビCMなどにより、梅酒は急速に認知度を高めました。

これにより「梅酒は家庭で作るもの」だけでなく、「お店で手軽に買えるお酒」という新しい選択肢が生まれました。

大手メーカーの参入は、品質の安定化や流通網の整備をもたらし、梅酒市場を大きく拡大させました。

自家製で楽しむ文化と、商品として買う文化。

この二つの流れが両輪となり、梅酒は国民的な飲み物としての地位を不動のものにしました。

ベーススピリッツの多様化と嗜好品としての進化

平成に入り、ライフスタイルや食の好みが多様化すると、梅酒の世界も大きな進化を遂げます。

それまでの梅酒は、ホワイトリカー(甲類焼酎)で漬けるのが一般的でした。

しかし平成以降、作り手も飲み手も、より個性的で深みのある味わいを求めるようになります。

その結果、ベースとなるお酒の種類が多様化していきました。

ベーススピリッツ味わいの特徴
ブランデー芳醇な香りとコクのある、リッチで華やかな味わい。
日本酒米由来の旨味と梅の酸味が調和した、まろやかで優しい味わい。
本格焼酎(芋・麦など)原料由来の個性的な風味と梅が融合した、複雑で飲みごたえのある味わい。
泡盛独特の甘い香りと力強い味わいが特徴で、長期熟成にも向く。
ウイスキー樽由来のスモーキーな香りやバニラ香が加わった、個性的で奥深い味わい。

この表が示すように、ベースを変えるだけで梅酒の表情は大きく変わります。

甘味料にも変化が生まれました。

従来の氷砂糖だけでなく、黒糖を使った「黒糖梅酒」や、はちみつを使った「はちみつ梅酒」も人気を博します。

また、梅の果肉を加えた「にごり梅酒」や、長期熟成させた「熟成古酒」など、付加価値の高い商品も次々と開発されました。

梅酒は単に梅のエキスを抽出したお酒という枠を超え、素材や製法の組み合わせで無限の可能性を秘めた、洗練された嗜好品へと進化したのです。

令和の梅酒|歴史を知ることで深まる現代の楽しみ方

古代中国での薬としての利用から始まり、幾多の時代を経て多様な文化として花開いた梅酒。

その壮大な背景を知った今、目の前にある一杯の梅酒はこれまでとは違って見えるのではないでしょうか。

この章では、歴史の知識を活かし、現代のライフスタイルの中で梅酒をさらに楽しむヒントを提案します。

伝統製法を受け継ぐ酒蔵|そのこだわりと哲学

現代でも、昔ながらの製法を頑なに守り、素晴らしい梅酒を造り続けている酒蔵が全国に存在します。

例えば、平和酒造の「鶴梅」シリーズは、高品質な完熟南高梅だけを使い、日本酒ベースで丁寧に仕込まれています。

その味わいは、梅本来のフルーティーさを最大限に引き出した繊細で上品なものです。

また、木内酒造では、自社の技術を応用し、ビール樽で梅酒を熟成させるなど、伝統と革新を融合させたユニークな梅酒造りに挑戦しています。

こうした酒蔵のストーリーを知るだけでも、一杯の梅酒に込められた時間と情熱を感じられます。

次に梅酒を選ぶ際は、「どんな人が、どんな想いで造ったのか」という視点を加えてみてください。

きっと、特別な一本との出会いが待っているはずです。

歴史を味わう|古酒・熟成梅酒の選び方と魅力

熟成された梅酒の奥深い味わいに魅了された経験を持つ方も多いでしょう。

梅酒は、ウイスキーやワインのように「時間」がその価値を高めるお酒です。

漬けたてのフレッシュな味わいも魅力的ですが、年月を重ねることで角が取れてまろやかになり、香りも複雑で深みを増します。

それは、まるで歴史そのものを味わうような体験です。

古酒や熟成梅酒を選ぶ際のポイントは、まず「熟成年数」を確認することです。

熟成期間が長くなるほど、味わいはまろやかに、香りは芳醇になります。

また、「ベースとなるお酒の種類」も重要です。

ブランデーベースは華やかに、本格焼酎ベースはどっしりとしたコクに、といった具合に元のお酒の個性が引き立てられます。

特別な日の乾杯や大切な方への贈り物として、時の流れが溶け込んだ一杯を選んでみてはいかがでしょうか。

あなただけの梅酒を漬ける|梅仕事に歴史の知恵を活かす

毎年、初夏に「梅仕事」を楽しんでいる方も多いと思います。

例えば、「なぜ氷砂糖を使うのか」という疑問。

これには、ゆっくり溶ける性質が浸透圧を緩やかにし、梅のエキスを効率よく引き出すという先人の知恵が隠されています。

こうした理由を知るだけで、作業が少し丁寧になる気がしませんか。

また、平成以降に多様化したように、ベースのお酒や甘味料をアレンジするのも楽しいものです。

今年はブランデーで、甘みは黒糖で、と考える時間は、歴史の上に自分だけの一ページを書き加える作業です。

江戸時代の人が薬効に期待したように、明治の文豪がその彩りを楽しんだように。

歴史の知恵を活かしながら、自分だけの梅酒を育てる楽しみをぜひ味わってみてください。

梅酒の歴史に関するよくある質問

この記事で解説した梅酒の歴史について、多くの方が疑問に思う点をQ&A形式でまとめました。

梅酒が日本で最初に作られたのはいつですか?

現存する最古の文献記録は、1697年刊行の『本朝食鑑』です。

この書物には、青梅を焼酎に漬け込むという、現在の梅酒とほぼ同じ製法が記されています。

そのため、少なくとも江戸時代中期には梅酒の原型が作られていたと考えられています。

ただし、これは文献上の記録であり、それ以前から民間療法として似たものが作られていた可能性もあります。

昔の梅酒は甘かったのですか?

現代の梅酒ほど強い甘みはなかった可能性が高いです。

梅酒が生まれた江戸時代、砂糖はまだ貴重品でした。

そのため、ふんだんに砂糖を使うより、梅の酸味や薬効成分をアルコールで引き出すことが主な目的だったと推測されます。

甘さよりも、梅由来の酸味と健康効果を期待した、薬用酒としての性格が強かったと考えられます。

時代と共に砂糖が普及するにつれ、徐々に甘みが加えられ嗜好品へと変化していきました。

なぜ家庭で梅酒を作ることが広まったのですか?

大きく二つの要因が挙げられます。

一つ目は、江戸時代から続く「健康飲料・薬用酒」としての役割です。

夏バテ防止など梅の効能への期待が、各家庭で梅酒を作る文化の素地となりました。

二つ目の決定的な要因が、1962年の酒税法改正です。

この改正で、家庭で消費する目的の梅酒作りが法律で明確に認められました。

この法的な安心感が、「梅仕事」という文化を全国的に普及させる大きな後押しとなりました。

海外にも梅酒のようなお酒はありますか?

梅の起源である中国にも「梅酒(メイジウ)」と呼ばれるお酒が存在します。

近年では、日本の「Umeshu」が海外で非常に高い評価を受けており、人気は世界中に広がっています。

特に欧米では、そのユニークな甘酸っぱさがカクテルのベースとして注目されています。

日本の梅酒文化は、今や国境を越えて世界の人々を魅了しているのです。

まとめ|歴史を知ればいつもの一杯が特別な一杯に変わる

私たちの身近にある梅酒の壮大な歴史を振り返りました。

その源流は古代中国の「塩梅」や薬としての「烏梅」にさかのぼります。

そして江戸時代の日本で焼酎と砂糖に出会い、薬用酒として誕生しました。

明治・大正期には文化として成熟し、昭和・平成を経て国民的な飲み物へと成長したのです。

この記事を通じて得た知識は、いつもの梅酒をより深く、豊かに味わうための背景となります。

次に梅酒を手に取るとき、その琥珀色の向こうに、幾世代にもわたる人々の知恵や文化の積み重ねを感じてみてください。

きっと、いつもの一杯が、時間の重みと奥行きを持った、かけがえのない特別な一杯に変わるはずです。

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